2016-10-23-Sun-06:44

【 小説の書き出し 】

 朝靄に包まれた街を一人歩いている。自宅を出てから一時間は経っただろうか。その頃は確かまだあたりは暗かった。今はもう明るい。
 青白く靄が包み込む街中を一人歩いていると、とても不思議な感覚になった。本当はそんなに長く散歩をするつもりはなかったのだけれど、何となく特別な感じがして帰れなくなってしまった。多分、今は朝の五時くらいかな。良いや、今日も学校は休もう。このまま歩けるところまで歩いてやる。
 青白い街には人気が無く、ひたすらに冷たい印象だった。私はそんな中をまるで幽霊のようにふらふらと当ても無く歩く。何も考える事は無い。色々な事を忘れて、自分が自分である事すら、忘れて歩こう。
しかし、思えば思うほどそれは無理だった。
 私には「水原美姫」という友達が居た。美姫とは小学校四年生の頃に仲良くなってから、お互いに一番良く遊ぶ友達だった。世間ではこういうのを親友と呼ぶのかもしれない。私はその表現があんまり好きじゃないから彼女は友達だと言いたいけれど。
 彼女はとても不思議な子だった。美姫が転校してきて、私は彼女の隣の席になる。初めて会う転校生になんて声をかけて良いのか分からずにもじもじしていると、彼女は私の顔をじっと見つめてニッコリと笑い話し始めた。
 「安藤彩子ちゃんね。よろしくね」
 この時のことはよく覚えている。およそ同学年と思えないほど落ち着いていて、驚いたのだ。まるで私の心の中を見透かすような顔だった。大人の女性と話しているような気分で、とても特別に感じた。
 それから、私と美姫はよく遊ぶ仲になった。元々特別仲が良い友達の居なかった私は、美姫と知り合えた事がとても嬉しかった。美姫も私と同じように、他のクラスメイトとは波風が立たないように付き合うだけで、特別仲のいい友達を増やそうとしなかった。私しか知らない美姫の一面を知っている事が、私にとってはとにかく新鮮で、これが本当の友達というものかもしれないと思っていた。
 彼女は体の弱い女の子だった。学校は一週間のうち、確実に一日は休んだ。多い時は三日休む週すらあった。その度に私は家に帰ってから彼女の家に連絡して、少し話した。たまに家にも訪ねた。普段はあれほど落ち着き、凛としている彼女の体が弱いのが、どうしても不思議だった。御見舞をする度に彼女は、「大丈夫だから」と笑った。どうやら私が慰められているだけのようだった。お見舞いに、色んなものを持っていったのを覚えている。家を尋ねることが出来なかった日の分も、訪ねた日に纏めて渡したりした。今考えれば迷惑だったかもしれない。
 美姫とは、結局中学三年生になるまで、クラスも一緒だった。しかし高校進学で遂に私達は別れることになった。同じ学校を目指そうと美姫に提案シたことがあったのだけれど、「進学は友達で決めることじゃないよ」と窘められてしまった。体が弱く、進級するのがやっとだった美姫にとって、同学年の学業に着いていくのは困難だった。私よりも、絶対に美姫の方が頭が良い筈なのに、美姫は私よりも偏差値の低い高校に進学した。それは今でも納得がいかない。
 高校進学で離れ離れになってから、私達はぱったりと連絡を取り合わなくなってしまった。私の方からは何度か電話をしてみたのだけれど、結局返事は無かった。
 高校二年生の秋、十月の二十三日、今日から三日前に彼女から電話がかかってくるまでは私達は別々の人生を歩んでいた。
 気付いたら住宅街を抜けて、大通りまで歩いてしまった。ここから自宅まで帰るとなると、最短でも一時間以上はかかるだろう。急に冷静になってきてしまい、私は自宅に向けて踵を返した。靄は晴れ、太陽も上がっている。様々な目的を持って道を歩く人達は、パジャマのままふらつく私を訝しげにじろじろと見てきた。少し下を向いたまま、私はとにかく歩いた。

2016-10-21-Fri-00:15

【 小説の書き出し 】

 夜道を一人で歩いている時、ふと後ろを振り向くのが怖くなる瞬間がある。足音が聞こえるからとか、分かりやすい理由など無く。実際に振り向けば後ろには何もないのも分かっている。しかしどうも後ろを振り向くと何か嫌な事が起こりそうな気がしてしまい、体が硬直してしまうのだ。
 仕事帰り、見慣れた夜道、最終電車で帰ったので時間は確かに遅いのだけれど、私はまた意味もなく背後に恐怖を感じてしまう。一刻も早く自宅にたどり着き、手に持っている餃子とビールを安心して引っ掛けたい。
 この妙な癖のようなものは、私が小学生の頃から変わらず続いていた。子供が幽霊なんかを怖がるのは何となく分かるけれど、いい大人になって、まだそんな恐怖すら克服できていないのが恥ずかしい。どうやったら克服できるのかも分からないのだけれど。
 いっそ、一度振り向いてしまえば克服できるものなのだろうか。そういえば確か何かの本で読んだことがある。高所恐怖症のようなものを克服するために、あえて苦手な高所にたくさん通ったりする、みたいな治療法があるらしい。そもそも、夜道で背後が怖いといっても、感覚としては我慢できないほどでもないのだ。少し嫌な感じがすると言った程度。これはいっそ振り向いてしまって克服してしまっても良いのかもしれない。
 午前0時を回った住宅街、私の足音以外に聞こえる音は無い。思い立ったが吉日、今日やってみようか。
 変わらず歩みを進めている私の手に汗が滲んてくるのが分かる。情けない事だ。やっぱりどうも私は背後が怖いらしい。日中や周りに人が居る時はこんな事無いのにな。
 そうか。私にとって夜道の背後は、シュレディンガーの猫のようなものだ。一度も確認したことが無いから、怖いだけなのだ。
 意を決した。今日が私を変える日になる。私は歩みを止めた。
 ―体が、動かない。
 ため息が出た。意を決しても無理なのか。いや、決して無いのか。
 再び歩き始めた時だった。私のポケットから何かが落ちた。財布だ。
 再度立ち止まる。
 これは、もう振り向く他ないだろう。むしろ好機だ。財布をそのまま置いて帰るわけにも行くまい。
 理由さえあればそれは簡単に実行出来た。二十年間出来なかったことが、不思議なものだ。
 夜道の背後には何も無いはずだった。しかし、私が二十年の間夜道で振り返ることが出来なかったのにはどうも理由があったからのようだ。
 振り返るとそこに人が立っていた。


 ※構想も何も無い状態で小説の書き出しだけを書くという遊びをしてみる事にした。やってみればそれは結構面白かった。しばらく続けてみようかなと思います。
2016-10-20-Thu-18:38

【 - 】

 今、私の目の前には二人の男女が歩いている。若い二人だが、見たところ恋人同士というわけではなさそうだ。
 夜の0時、練馬の駅前には自宅に帰りたくないと駄々をこねているサラリーマンで溢れていた。まだまだ賑やかだ。
 「俺、まな板持ってないのさ」
 「うん」
 前を歩く二人の会話に耳を傾ける。
 「まな板、要らないんだよね」
 「うん」
 何なのだろうこの会話は。それに二人共全く楽しそうに話さない。更に興味をそそられたのでしっかりと聞き耳を立てる。
 「まな板って、使わないよね」
 「使うよ」
 「そうかな」
 「うん。使う」
 夜の0時、どこに行くでもなくふらついている様子の男女の会話にしては、情緒があるなあと感じる。
 それから二人はしばらく黙っていたが、少しして男はぽつりとつぶやく。
 「納豆」
 この男は話下手なのだろうか。脈絡の無さに横にいる女と同じように僕は驚いた。
 「え?」
 「納豆に葱、入れる?」
 「入れない」
 「そっか。小葱、入れるとおいしいよ」
 「そうなんだ」
 あまりにも盛り上がりに欠ける会話だった。何故か面白くなってきてしまい、マスクの下で一人笑ってしまう。
 「小葱をね」
 「ん?」
 「小葱」
 「ああ、うん」
 「刻む時」
 「うん」
 「小葱を刻む時だけ、まな板が欲しい」
 話がまな板に繋がった。この男は全く関係のない話をしていたわけではないようだ。話下手なのは変わりないが。
 「そうなんだ」
 「でもね」
 「うん」
 「スーパーに、既に刻んであるタイプの小葱、売ってるじゃない」
 「あるね」
 「普段はあれを買うから、大丈夫だけどね」
 この時の私の気持ちを言葉で表現するのは難しい。横にいる女がこの時どう思ったのかは分からないが、似たような気持ちなのではないだろうか。全く関係は無いように思うし因果があるかどうかも良く分からないが、今日は帰ったら、早めに寝ようと思った。
 二人とは繁華街の通りを抜けたところで別れる。
 二度と会う事も無いだろう。
2016-10-16-Sun-07:28

【 - 】

 今日は本屋の仕事で日頃思う事を書きます。

 お店によっての違いは大きいと思いますので、これは私が勤める本屋の話です。
 勤務時間中のスケジュールは、その日毎に決められています。例えば五時間の勤務の内、初めの一時間はレジ担当、次の一時間半は翌日準備とメンテナンス、その後はレジに戻る、というような感じです。レジの業務は一般的なレジ業務とほとんど変わらないものです。本屋のレジにはブックカバーを着けるという特殊な仕事もありますが、これも特筆するほどのものでもありません。
 驚いたのは、翌日準備やメンテナンスといった、レジに立たない業務についてでした。私は本屋でのアルバイトを始めてまだ一ヶ月半程しか経っていません。新米です。しかしこれは書店業界全般に言える特徴なのかどうか分かりませんが、驚くべきことにこの時間、私は完全に自由になります。言い方を悪くすると、これこれをやっておいてと、一時間半も放り投げられるのです。そして、その一時間半で私がした仕事に関しても、特別なチェックはありません。普通は新米に任せっぱなしでは心配だと思うのですが、不思議です。
 それでも翌日準備などはほとんどやることが決まっているので、任せても大丈夫だと思われているのかもしれません。仕事が早く終わってしまうと、残りの時間はメンテナンス当で時間を潰します。このメンテナンスの時間は、完全に自由になります。自分が思うように棚を整理したり、棚下にあるストッカー(引き出しのような収納)の中を整理したりします。恐らくこの時間に関しては、性格が如実に出るように思います。ストッカーの中に眠ってしまっている書籍を棚へ救出したり、ストッカーの中が一杯だと明日以降困る事が多いので返品をしたり、仕事になれば何でも良いのです。
 私は本を簡単に返品する感覚が馴染めなくて、この時間は大抵ストッカーに眠る本を救出する作戦を敢行します。
 そしてこれも驚くべき事なのですが、店長も含める書店の店員全員の中に、棚に差さっている本について完全に理解している人間が一人も居ないのです。つまりまかり間違ってストッカーに放り投げられたまま、ほとんど棚に出ること無くやがて返品されてしまう本が少なからずあるように思うのです。そして棚の事を完全に理解している店員が居ない以上、一冊二冊、私情で棚に差した所ではバレる事もありません。バレたところで売り物を棚に出しているだけなので、何という訳ではありませんが。
 空いている時間は、控え室で眠る彼らにステージを用意する事で、少しだけいい気分になれるのです。しかしこれについて、私ごときではおよそたった一日か半日ほどしか彼らにステージを用意してやることはできません。誰の悪意でも善意でもなく、明日のシフトの同僚や上司の方達が、大抵の場合片付けてしまうのです。私の出した本がバレたからではありません。次に片付けられるギリギリの位置にしか、戻すことができないのです。恐らく片付ける店員は、ほとんど何も見ずに抜いていきます。一々一冊づつ精査できない程に、書店には本が毎日沢山本が届くのです。
 しかし、先日こんな事がありました。私がストッカーの中から救出した一冊の漫画について、翌日も、その翌日も片付けられることなく棚に差さったままになっていたのです。そして既に一週間以上経って、それでもまだその本は棚に収まったままでした。同僚と上司に見つからずに今までやり過ごせているのか、それとも私の行動が誰かに何かを訴えかけたのか、それは分かっていません。同僚とこういった話をした事はまだありませんが、棚の内容を通じてコミュニケーションを図っているようで、面白く感じました。本屋の仕事はこのような謎が多いのです。
 直接本人には言えない事を、棚の内容を通じて伝える、といった事も書店の店員同士であれば可能かもしれませんね。
2016-10-07-Fri-12:47

【 - 】

 私が普段から良く通うミスタードーナッツ練馬駅前店で起きた、ある事件についてのお話です。
 
 バイト終わりに私はコーヒーを飲みたくなりました。時刻は二十二時。この時間まで営業している喫茶店は少ないですが、ミスタードーナッツは格が違います。なんと0時まで営業しています。他に選択肢も無いので迷うことなくまっすぐに私はミスタードーナッツに向かいました。
 千川通り沿いの歩道を東に向かって進んでいます。ミスタードーナッツまではおよそ十メートル程のところまで来たとき、ミスタードーナッツから東に十メートルほど離れたところにおじさんが歩いているのが見えました。おじさんは西に進んでいます。このままお互いに進めば、恐らくミスタードーナッツの入り口辺りですれ違う筈でした。
 しかし私の予測は外れます。おじさんとわたしはすれ違うことはありませんでした。おじさんはミスタードーナッツに入店したのです。そして私よりもおじさんは歩くのがどうやら早かったようです。ほとんど同じタイミングでしたが、おじさんの方が先に入店していきました。
 私はなんとなく考える事も無かったので、おじさんを観察していましたが、正直言って別段取り上げるほど気になる対象ではありません。私から見ておじさんは、練馬駅に数多いるおじさんの一人です。
 私も続けて入店しました。
 ミスタードーナッツ練馬駅前店に入店してまず私がする事は決まっています。レジカウンターに向かって右側の壁に掛けられているモニターを見ます。そのモニターにはこのお店の二階席の映像がリアルタイムで流されています。私にはどうしても二階席に座りたい理由がありました。私は喫煙者で、このお店の喫煙席は二階席にあります。半分くらいは煙草を吸う為に入店しているといっても過言ではありません。この日も例外なく私は自然と二階席の映像を確認しました。空席があるのかどうか確認したかったのです。
 二十二時という時間にも拘らず、店内は混み合っていました。二階席のモニターには空席が一つしかないのがはっきりと分かります。
 私の前に入店したおじさんのことが気になりました。おじさんがもし煙草を吸う人だったら、必ず二階席に行きたがる筈なのです。私は目の前のおじさんを見ます。
 おじさんはなんと、私と同じく二階席の映像を見ていました。
 私は確信しました。おじさんも喫煙者であると。そして喫煙席である二階席に確実に座りたいであろうと。
 その時、店員さんはカウンターに戻ってきておらず、私は考える事にしました。私とおじさん、どちらが二階席に一つだけある空席に座るべきなのか。答えはすぐに出ました。おじさんが先に入店したのだから、おじさんが先なのが筋であろうと。逆に私が座るべき理由もありません。あきらめる事にしました。
 店員さんがカウンターにいそいそと戻ってきました。おじさんがレジに呼ばれています。
 そして、もう一人の店員さんが別のレジで私を呼んでいました。私は何も考えずにレジに向かい、ブレンドコーヒーを注文します。店員さんがホットコーヒーをカップに注いでいる間、まずい事になったと私は気付きました。
 二階席に向かう階段は、レジカウンターの右側にあります。おじさんと私が今同時にレジカウンターに向かっていますが、私が注文を受けているカウンターの方が、二階席に向かう階段に近いのです。このままつつがなくホットコーヒーと二百七十円の交換が済んでしまうと、私の方が先に二階席に向かってしまう可能性が高い。
 店員さんが私のホットコーヒーを用意している間、この状況をどう切り抜ければ良いのか私は考えました。おじさんはきっと二階席に座りたい筈なのです。自然とおじさんの方が先に二階席に向かえるようにしなければなりません。
 隣のレジの様子を伺いました。おじさんは私と同じくホットコーヒーのみを注文したようです。恐らく私たちはほぼ同時にレジを離れることになりそうだと感じます。
 しかし深く考える時間はあまり取れませんでした。店員さんはホットコーヒーを持って私の元に戻ってきます。おじさんを担当する店員さんも、ほとんど同じタイミングでおじさんにホットコーヒーを渡しました。
 もう猶予はありません。お互いに自由になったタイミングは同じでした。私は目に付いたあるものを手に取ります。それは、レジの横に常備されていた新商品の予告チラシでした。そのチラシを店員さんに見せ、私は言います。
 「これはどんなドーナッツなんですか?」
 おじさんが階段を登っていく音だけが、私の耳には聞こえていました。店員さんには申し訳が無かったのですが、私は新商品に興味があったわけではありません。時間を稼ぐ為に取った行動でした。
 喫煙席ではない一階席で私は一人コーヒーを啜りながら考えました。世界は目に見えない誰かの優しさで溢れているのかもしれない。良い事をした感覚がありました。それは仕事終わりの一服よりも、気分のいいものだったかもしれません。
 二階席で一服しているおじさんの事を考えながら、私は読みかけの文庫本を開きました。
 今日起こったこの事件を「喫煙席椅子取り合戦不戦敗事件」と名付けました。
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