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2019-05-21-Tue-08:19

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一日に二度も更新をするとは、全く私はどうしようもない存在である。
しかしどうやら普段私が極めて個人的に行っている執筆活動をこのブログで続けることに、どうやら私は味をしめたようなのだ。
客観世界に置ける居場所が必要なのと同時に、精神世界にも居場所が必要だと私は考えている。
デジタルな世界はこうした精神的な居場所を創造、或いは模倣出来るように思われる。
まあ、とにかく全く意味を成さない言葉を再び並べ立ててゆく。
聡明な諸君にはここで読むのを中止し踵を返すことをオススメする。
これ以上読むのだとしたら、あなたは聡明でない可能性がある。
フォローのつもりではないが一つ付け加えると、私は聡明でない人の方が好きである。

近頃考えたあることをここに記す。
私がしていることは極めて個人的な精神活動であり、それは哲学であるのかもしれないし、或いは哲学マガイのインチキであるのかもしれない。
しかし考えたことは不思議と言語にしたくなる。
これは先日の記事にも書いた通り、私にも同一化への欲望が存在しているからだと思われる。
その欲望は自意識の内側のみに向けて放つことも可能だが、外側に向けることで一層満たされるという実感がある。
それは本来そこにあるべきである「他者との同一」が満たされるからである。
この欲望は内面のみに向けて何を放っても満たされない。満たされたような気になるのが関の山である。

しかし私はこうも思う。
このブログでの記事もそうだが、あらゆる発表に際して、「好ましくない」という自らに対する曖昧な認識がある。
他者と実際にこういった話をしていても思う。私は酷く間違っているのではないかと感じる。
それが「絶対的な悪」であるかどうかは確認も出来ない上に重要でもない。
重要なのは私が一体何に「自責」を抱いているか、という点である。
少し考えたが答えは出ない。私はあらゆる事に答えを見いだせないほどにはやはり愚かなのである。

ある哲学者の本を読んでいて、近頃の私が考えていた件についての新しい情報を手に入れた。

「生物の営みに反している哲学という行為は、決して高級ではなく下品なものだ。ワイセツなものだ。」

私はどうもここのところ抱えていたもやもやとしたものに一筋の光をこの言葉から得たように感じた。
というのも、私が感じる自責は「発表」を伴っているものばかりだと気が付いたのである。
この言葉が正しいかどうかはさして重要でない。重要なのは私が言葉を得る事で気付きを手に入れたことである。
これは明らかに私の中にもあった感覚であった。しかし言語化が出来ずにもやもやとした感覚だけがそこにあった。
私がしている事や考えている事は決して「高級ではない」。
しかし私はこうして朗々と「下品」な言葉を外部に向けている。
それは正に「ワイセツ行為」に他ならず、更に言うとそれを隠している事にも自責を感じていたのだと思われる。

他者にとって好ましいか好ましくないかは、私が考えるべき事ではない。
しかし私は明らかに「下品」だという自覚の元にそれを外部へ向けていたことは純然たる事実である。
多くの他者にとってそれが「無意味」なのも自覚している。

では、私は発表を辞めるべきであろうか。
それも一つの手かもしれない。しかし上記に際して未だ私は答えを得ていないのも事実である。
得たのは自らが「下品」なことをしているかもしれない、という認識のみである。

よってここは曖昧に決着を着けたいと考えている。
私は毎度このような言葉を残す度に、「下品な場所だから引き返せ」と訪問者へ忠告をする。
そのお膳立ての上で朗々と下品な言葉を外部へ発表する。

一体誰に対する忖度であろうか。
それは私があらゆる他者を畏怖しているからに他ならず、忖度は全世界にある他者へ向けられている。
要するに、私は他者から排斥されるのが恐ろしいだけなのである。

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