2017-05-10-Wed-22:00

【 小説の書き出し 】





 またろくでもない事が始まった。
 窓の外の喧騒を聞きながら、私は今日もそんな事を思う。昨日も、その前も、一か月前もずっとずっと、私をめぐる世界はどうかしている。
 私には人には話せないある秘密があった。それは「妖怪が見える」というものだった。
 隠しているのは心苦しいのだが、頭がおかしい奴だと思われたくなくて初めに言いそびれた結果、今になっても両親にすらそれを打ち明けられずにいる。
 私が住むアパートのすぐ傍の通りでは、人間程の大きさもある猫が二足歩行で歩き回る。出会い頭で何らかのトラブルが起こってしまったのか、二匹の猫は取っ組み合いの喧嘩をしている。猫の喧嘩というよりは人間の喧嘩に近い。腕を使って取っ組み合ったり、ボクシングのように殴り合ったりしている。にゃあにゃあと大きな叫び声を上げながら。たいへん五月蠅い。
 春になってからというものの、彼等が出現する機会はぐんぐん増え始めて、今では人間と変わらないくらい見掛ける。もしかしたら人間よりも多いかもしれない。
 妖怪といっても、私がそう呼んでいるだけで実際に妖怪なのか何なのかは全く定かでは無い。「妖怪」は、私が就職により田舎から東京へ越してきた頃から私の前に姿を現し始めた。一年前であるから、私が二十歳になってすぐの頃だ。
 初めてそれを目撃した時の事はよく覚えている。東京へ向かう夜行バスの車中、私はカーテンの隙間から高速道路をぼんやり眺めていた。これから始まる新生活に対する不安からか、それとも夜行バスの座席が余りにも睡眠に適さなかったのか、私は上手く眠れなかった。眠れなかったので、座席の上で丸くなってカーテンの隙間から高速道路を眺める事しか出来なかった。夜の高速道路は同じような形をした車が前へ出たり後ろへ戻ったりするだけで、なんとも退屈な景色だった。
 しかしぼんやりとした頭が一気に弾け飛ぶような事件が起こる。
 それはいつの間にか目の前に居て、気付いた私は目を疑った。
 隣を走るワゴン車の車内。運転をしている人間も、助手席に座る人間も、後部座席に座る人間も。いや、訂正したい。とにかく隣のワゴン車の中に乗っていたのは、人間では無かった。真っ白な体躯に赤い目をしていて、大きな白い耳はワゴン車の天井で突っかかって曲がっている。服を着て、運転をしていて、シートベルトを装着して座席に座っている部分を除けば、それはどうみてもウサギだった。そのワゴン車はすぐに私の横を通り過ぎて行ってしまい、再度確認する機会は無かった。その時は夢でも見ているか、被り物でも着けた集団なのだろうと自分を納得させる事にした。
 しかし東京へ到着し、早朝の新宿駅へ降り立った私はまた驚かされた。
 駅へ向かうサラリーマン、地べたに座り込む若者、謎の台車を引いて歩くホームレスのおじさん。そんな東京の景色に紛れ込み何十人かに一人、当たり前の顔をして歩くウサギ人間が混じっていた。
 新生活が始まってからも尚、そういった現象は続く。何であれば私のアパートから一番近いコンビニで働いている店員さんの一人は、ネコ人間である。何故ウサギだったりネコだったりするのかは、今のところ全く解明できていない。ネコ人間の店員さんは、ネコの姿をしているところ以外は真面目に働く若者にしか見えなかった。若者と判断した理由は、着ている服のセンスからなので厳密には定かでは無い。彼はだぼついたジーンズを良く履いていた。
 とにかくそんな事が私の周りでは続き、私はいよいよ頭がおかしくなってしまったのだと思った。すぐに精神科の先生に診てもらったが、非情な事に先生は「何の問題も無いから働け」と言うのだった。実際に先生がそのように言った訳では無い。その時の先生の長い話を要約するとこうなるという事である。不思議な事に、病院を変えて幾度となく診察して貰った結果、どこでも「何の問題も無いから働け」と先生は言うのだった。問題だらけだと思うのだけれど、先生がそう言うのだから仕方無かった。
 春になると私は内定が決まっていた会社で新入社員として働き始める。
 驚くべき事にウサギ人間とネコ人間は、私が就職した社員の中にも存在していた。間接的な上司の一人にウサギ人間が居た。普段はあまり顔を合わせないが、一ヶ月に一回程、連絡の伝達等で顔を合わせる事もあった。
 近くから見るとそれはそれは不気味なものだった。ウサギ人間の上司は、私が声を掛けると人間の様に返事をしこちらを振り向く。鼻がぴくぴくと動いていて私の匂いを嗅いでいるみたいに見えた。これはいかにもウサギのような仕草で、こんなに大きなウサギに戦いを挑まれたら、私はきっと勝てないなどと意味の分からない事を考えたりした。連絡事項を伝えるとウサギ上司は、「はいよ」とつまらなそうに返事をし再び机に向かう。机に向かってからも、鼻はぴくぴくと動いていて生々しかった。
 しかし不思議な事にこれに気付いているのは私だけのようで、周りの人間は全く何の反応も示さず、ウサギ上司に対して普通の人間の様に接しているのである。やはりもう一度病院で診て貰おうかと悩むが、また「何の問題も無いから働け」と言われたら心が痛みそうだ。それに診察料が無駄になってしまう。彼等から申し訳程度に処方された謎の薬は、効果が見られなかった為に結局あまり飲んでいない。
2016-10-23-Sun-06:44

【 小説の書き出し 】

 朝靄に包まれた街を一人歩いている。自宅を出てから一時間は経っただろうか。その頃は確かまだあたりは暗かった。今はもう明るい。
 青白く靄が包み込む街中を一人歩いていると、とても不思議な感覚になった。本当はそんなに長く散歩をするつもりはなかったのだけれど、何となく特別な感じがして帰れなくなってしまった。多分、今は朝の五時くらいかな。良いや、今日も学校は休もう。このまま歩けるところまで歩いてやる。
 青白い街には人気が無く、ひたすらに冷たい印象だった。私はそんな中をまるで幽霊のようにふらふらと当ても無く歩く。何も考える事は無い。色々な事を忘れて、自分が自分である事すら、忘れて歩こう。
しかし、思えば思うほどそれは無理だった。
 私には「水原美姫」という友達が居た。美姫とは小学校四年生の頃に仲良くなってから、お互いに一番良く遊ぶ友達だった。世間ではこういうのを親友と呼ぶのかもしれない。私はその表現があんまり好きじゃないから彼女は友達だと言いたいけれど。
 彼女はとても不思議な子だった。美姫が転校してきて、私は彼女の隣の席になる。初めて会う転校生になんて声をかけて良いのか分からずにもじもじしていると、彼女は私の顔をじっと見つめてニッコリと笑い話し始めた。
 「安藤彩子ちゃんね。よろしくね」
 この時のことはよく覚えている。およそ同学年と思えないほど落ち着いていて、驚いたのだ。まるで私の心の中を見透かすような顔だった。大人の女性と話しているような気分で、とても特別に感じた。
 それから、私と美姫はよく遊ぶ仲になった。元々特別仲が良い友達の居なかった私は、美姫と知り合えた事がとても嬉しかった。美姫も私と同じように、他のクラスメイトとは波風が立たないように付き合うだけで、特別仲のいい友達を増やそうとしなかった。私しか知らない美姫の一面を知っている事が、私にとってはとにかく新鮮で、これが本当の友達というものかもしれないと思っていた。
 彼女は体の弱い女の子だった。学校は一週間のうち、確実に一日は休んだ。多い時は三日休む週すらあった。その度に私は家に帰ってから彼女の家に連絡して、少し話した。たまに家にも訪ねた。普段はあれほど落ち着き、凛としている彼女の体が弱いのが、どうしても不思議だった。御見舞をする度に彼女は、「大丈夫だから」と笑った。どうやら私が慰められているだけのようだった。お見舞いに、色んなものを持っていったのを覚えている。家を尋ねることが出来なかった日の分も、訪ねた日に纏めて渡したりした。今考えれば迷惑だったかもしれない。
 美姫とは、結局中学三年生になるまで、クラスも一緒だった。しかし高校進学で遂に私達は別れることになった。同じ学校を目指そうと美姫に提案シたことがあったのだけれど、「進学は友達で決めることじゃないよ」と窘められてしまった。体が弱く、進級するのがやっとだった美姫にとって、同学年の学業に着いていくのは困難だった。私よりも、絶対に美姫の方が頭が良い筈なのに、美姫は私よりも偏差値の低い高校に進学した。それは今でも納得がいかない。
 高校進学で離れ離れになってから、私達はぱったりと連絡を取り合わなくなってしまった。私の方からは何度か電話をしてみたのだけれど、結局返事は無かった。
 高校二年生の秋、十月の二十三日、今日から三日前に彼女から電話がかかってくるまでは私達は別々の人生を歩んでいた。
 気付いたら住宅街を抜けて、大通りまで歩いてしまった。ここから自宅まで帰るとなると、最短でも一時間以上はかかるだろう。急に冷静になってきてしまい、私は自宅に向けて踵を返した。靄は晴れ、太陽も上がっている。様々な目的を持って道を歩く人達は、パジャマのままふらつく私を訝しげにじろじろと見てきた。少し下を向いたまま、私はとにかく歩いた。

2016-10-21-Fri-00:15

【 小説の書き出し 】

 夜道を一人で歩いている時、ふと後ろを振り向くのが怖くなる瞬間がある。足音が聞こえるからとか、分かりやすい理由など無く。実際に振り向けば後ろには何もないのも分かっている。しかしどうも後ろを振り向くと何か嫌な事が起こりそうな気がしてしまい、体が硬直してしまうのだ。
 仕事帰り、見慣れた夜道、最終電車で帰ったので時間は確かに遅いのだけれど、私はまた意味もなく背後に恐怖を感じてしまう。一刻も早く自宅にたどり着き、手に持っている餃子とビールを安心して引っ掛けたい。
 この妙な癖のようなものは、私が小学生の頃から変わらず続いていた。子供が幽霊なんかを怖がるのは何となく分かるけれど、いい大人になって、まだそんな恐怖すら克服できていないのが恥ずかしい。どうやったら克服できるのかも分からないのだけれど。
 いっそ、一度振り向いてしまえば克服できるものなのだろうか。そういえば確か何かの本で読んだことがある。高所恐怖症のようなものを克服するために、あえて苦手な高所にたくさん通ったりする、みたいな治療法があるらしい。そもそも、夜道で背後が怖いといっても、感覚としては我慢できないほどでもないのだ。少し嫌な感じがすると言った程度。これはいっそ振り向いてしまって克服してしまっても良いのかもしれない。
 午前0時を回った住宅街、私の足音以外に聞こえる音は無い。思い立ったが吉日、今日やってみようか。
 変わらず歩みを進めている私の手に汗が滲んてくるのが分かる。情けない事だ。やっぱりどうも私は背後が怖いらしい。日中や周りに人が居る時はこんな事無いのにな。
 そうか。私にとって夜道の背後は、シュレディンガーの猫のようなものだ。一度も確認したことが無いから、怖いだけなのだ。
 意を決した。今日が私を変える日になる。私は歩みを止めた。
 ―体が、動かない。
 ため息が出た。意を決しても無理なのか。いや、決して無いのか。
 再び歩き始めた時だった。私のポケットから何かが落ちた。財布だ。
 再度立ち止まる。
 これは、もう振り向く他ないだろう。むしろ好機だ。財布をそのまま置いて帰るわけにも行くまい。
 理由さえあればそれは簡単に実行出来た。二十年間出来なかったことが、不思議なものだ。
 夜道の背後には何も無いはずだった。しかし、私が二十年の間夜道で振り返ることが出来なかったのにはどうも理由があったからのようだ。
 振り返るとそこに人が立っていた。


 ※構想も何も無い状態で小説の書き出しだけを書くという遊びをしてみる事にした。やってみればそれは結構面白かった。しばらく続けてみようかなと思います。
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